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虚説捏造と検証回避は考古学界だけか――「藤村事件」と「羽入事件」にかんする状況論的、半ば知識社会学的な一問題提起(その2)

折原

200463

 

 

§1.問題設定――遺物捏造事件をめぐる当事者と隣接人文/社会諸科学

 東北旧石器文化研究所副理事長藤村新一による旧石器遺物発掘捏造が、200010月末に発覚してから、三年余になる。

 発覚直後、考古学者の全国組織である日本考古学協会は、「新たな発見をめぐって、資料の公開多様な意見の研究者による相互批判が不十分ではなかったのか、本協会としても厳しく反省する必要がある」(121日付「上高森遺跡問題等についての委員会見解」、傍点は引用者、以下同様)と受け止め、「疑念の生じた遺跡の検証を含めて前・中期旧石器遺跡の自由闊達な学術的検討が集中的に行われることの必要を認め」て、調査に当たる特別委員会を発足させた。

  その後、同委員会は、「東北日本の旧石器文化を語る会」などの研究サークルや自治体の協力をえて、精力的に検証作業を進め、「当初の想定を超えるような驚くべき捏造の広がり」(2002526日付「前・中期旧石器問題に対する会長声明」)を明らかにし、報告書を同協会の第68回総会に提出した。この機会に、同協会会長の甘糟健は、声明のなかでつぎのように述懐している。

 「顧みれば、一部の研究者からの正鵠を射るところの多い批判がなされていたにもかかわらず、論争を深めることができず、学界の相互批判を通じて捏造を明らかにするチャンスを逸したことは惜しまれます。自由闊達で徹底した論争の場を形成することができなかった日本考古学協会の責任も大きいと考えられます。」

 「日本考古学協会の研究発表会では、藤村氏等の研究グループの研究発表が異常に高い頻度で行われましたが、協会としては反対論者との討論を企画する等の問題意識もなく、結果的に捏造にかかわる調査を権威づけることになったことを反省しています。」

  また、もっとも当事者に近い「東北日本の旧石器文化を語る会」は、2003126日の声明で、つぎのとおり反省の弁を語っている。

 「当会は、東北日本の旧石器研究の最新成果を速報し、あわせて研究者の情報交換を行うことを目的として1987年に設立されたものです。『前・中期旧石器』研究に対しては、発足当初から成果発表の場を提供し続け結果として虚偽の情報を広める役割を果たすこととなってしまいました。このことが、ねつ造行為をさらに助長させ継続させたことも事実であり、会として深く反省し、お詫び致します。

  長期にわたるねつ造を見抜けなかった原因については、調査方法や研究姿勢などに問題があったことが指摘されていますが、当会にあっては、新たな成果に対してそれを検証しようとする視点で議論を尽くしてこなかった点に最大の問題があったと考えます。特に、最も基本的な遺跡での事実関係を客観的な記録に基づいて確認しあう姿勢が欠けていたと考えております。」

さて、こうした一連の声明には、研究上の同僚による遺物発掘捏造というスキャンダルを、ジャーナリズムに暴かれるまでは直視せず、事前には偽遺物にもとづく虚説を鵜呑みにし、あるいは、うすうす「問題とは感じ」ながら「見てみぬふり」をし、むしろ中立的で無難な「成果発表の場を提供」して虚説の「権威づけ」と普及拡大に加担していた研究者の姿が、簡明に浮き彫りにされている。

ところで、当事者による事後の自己批判を、上述のとおり集約してみると、「ことははたして考古学界だけか」との疑念が頭を擡げる。あの「藤村事件」を「対岸の火災」として「胸をなでおろして」いる隣接(人文・社会科学)諸領域の学界および研究者には、問題はないのか。むしろ、「触らぬ神に祟りなし」「臭いものには蓋」「ものいえば唇寒し」「沈黙は金」といった諺がなお妥当するような、考古学界と同質の学問文化風土のもとで、「検証」「相互批判」「自由闊達な学術的検討」「自由闊達で徹底した論争」を回避する同一のスタンスは堅持しながら、「破局」には直面させられないだけ、反省/自己批判の機会がなく、かえって「遅れをとり」「救いがたい」ともいえるのではなかろうか。

筆者はこの間、羽入書を取り上げ、そこで主張されている「ヴェーバー詐欺師説」を、一ヴェーバー研究者として内在的に批判してきた。そうするなかで、羽入がなぜ、学問的には認められようもない無理と矛盾を犯してまで「ヴェーバー詐欺師説」を唱えたのか、その動機および動機形成の背景にも、思いを馳せざるをえなかった。他方、羽入書が、「学術書」としては異例の売れ行きを示し、ヴェーバー研究者からの反論は聞かれないままに、「山本七平賞」を受けて「識者」の絶賛を浴びるといった社会的反響の量と質にも、憂慮を掻き立てられた。

そうこうするうち、筆者には、「羽入事件」と「藤村事件」とは、発生の時期が重なるばかりか、事件の本質においても、研究者や「識者」の対応についてみても、驚くほどよく似ている、と思えてきた。そして、いやしくも社会科学者であれば、一方は「対岸の火災」、他方は「近隣のぼや」くらいに受け流して「自然鎮火」を待つのではなく、あるいは、「ぼや」を消す内在批判で「こと足れり」とするのではなく、むしろ「社会学的想像力」をはたらかせて、両事件を類例として比較し、双方の異同を明らかにし、背後にある構造連関を問い、隣接領域の「破局」を「他山の石」として活かさなければならない、と考えるようになった。そこで、本稿では、内在批判とははっきり区別したうえ、一社会学徒として「外在考察」を試み、両事件の動機形成とその構造的背景につき、一定の明証性はそなえた仮説を提出して、(「妥当性」の検証とその後の展開は後進に委ねる、その意味で)半ば知識社会学的な一問題提起としたい。

 

§2.「藤村事件」と「羽入事件」――寵児願望にもとづく耳目聳動的転覆とその手段

「藤村事件」と「羽入事件」とを、ほぼ同時期の二現象として関連づけ、類例として比較してみると、まず共通面として、つぎの特徴が目に止まる。すなわち、単刀直入にいって、両事件は、両当事者が、学界の「定説」「定評」を耳目聳動的に覆して、学界の「寵児」「チャンピオン」に躍り出ようとし、その種の「学界における成功academic success」という「目的」を性急に追求するあまり、学問上疑わしい「手段」を採用した事件である。

とはいえ、いきなり「学問上疑わしい『手段』」というと、「藤村は然りでも、羽入は否」との異議が申し立てられるにちがいない。しかし、はたしてそうか。そこで、右の共通特徴から出発して背景を探るまえに、両当事者が採用した「手段」に限定して、両事件の異同を比較/検討してみよう。念のため、ここであらかじめお断りしておけば、筆者は、藤村が採った手段と羽入のそれとを混同し、藤村と羽入とを「一緒くたに」論じようとするのではない。学問上の論争が巷間の話題になると、往々にしてその種の誤解が生じ、「一人歩き」して、係争問題の焦点がぼやけ、論点も拡散し、的確な相互批判による学問的成果の達成が妨げられることもある。いままでこの論稿の公表を手控えていたのも、「はじめに」でも述べたとおり、ひとつにはそうした誤解の発生と「一人歩き」を危惧したからにほかならない。本稿の読者にはどうか、同じく学問上疑わしい手段といっても、疑わしさの質はちがうという本節の論旨を、よく見届けておいていただきたい。

なるほど、藤村は、遺跡に直接偽遺物を持ち込み、それをあとから取り出して本物の出土遺物に見せかける、正真正銘の捏造をおこなっている。辞書には一般に、「捏造」とは「本当にはないことを、事実であるかのように創り上げること」とある。藤村は、自分のしていることをその意味の「捏造」と自覚し、他人に隠している。それにたいして、ヴェーバー「詐欺罪」の構成要件を「発見」したと称する「羽入事件」を、遺跡発掘になぞらえれば、こちらの当事者は、「ヴェーバー遺跡」の一部に相当する「『倫理』遺構」に、もともとはなかった「偽遺物」をこっそり持ち込み、それをあとから取り出して見せて、「ヴェーバー詐欺師説」の「証拠」「新発見」と称しているわけではもちろんない。このばあい「『倫理』遺構」に相当するのが、「倫理」論文(Die protestantische Ethik und der »Geist« des Kapitalismus, in: Gesammelte Aufsätze zur Religionssoziologie, Bd. 1, 4. Aufl., 1947, Tübingen, S. 17-206, 大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の〈精神〉』, 1989, 岩波書店[改訳第二刷文庫版], 梶山力訳/安藤英治編『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の〈精神〉』、第二刷、1998、未來社)であり、「偽遺物」とは、「倫理」論文そのものには出てこない(別人によって用意され、「倫理」論文に持ち込まれる)語ないし語群そのものを意味するであろう。羽入は、自分のしていることを「捏造」とは思わず、学問上「世界初の発見」と信じ、みずから発表し、広く承認を求めている(したがって、その検証は、「藤村事件」と比べてはるかに容易で、遠方の遺跡に足を運んで「事実関係を、客観的な記録にもとづいて確認しあ」うことも必須ではなく、各人がそれぞれ手元にある「倫理」論文と照合しさえすれば、少なくとも半ばは達成されるはずである)。

さて、「遺構」のなかでは、個々の「遺物」が群れをなし、ちょうど星々が集い、特定の個性的な位置関係にあって唯一無二の「星座」をかたちづくるように、「遺物」群も、特定の個性的な布置連関Konstellationcumstella)」をなして、「遺構」(全体ないしはその特定部位)を構成している、と見ることができよう。そこで、「遺物」群のそうした「布置連関」の見取り図、すなわち「(遺物)配置/(遺構)構成柄」を、略して「配置構成図」と呼ぶとすれば、「『倫理』遺構」の「配置構成図」とは、個々の語群が内属して「意味」を取得しているコンテクストないしはパースペクティーフ(それぞれのコンテクストが置かれている遠近法上の局面で、著者の「価値理念」/視座にもとづく「価値関係性」の濃淡に照応している)に相当するといえよう。とすると、羽入は、自分で自分の「配置構成図」を創っておいて、これを自分のほうから「『倫理』遺構」に持ち込み、遺構から取り出した「遺物」ないし「遺物群」(=語ないし語群)を、遺構のなかでの本来の配置に即してではなく自分の配置構成図に移し入れそのなかに並べ替え、結果として本物とは異なる「偽の遺物配置」(=偽のコンテクストと意味)を創り上げ、これを「ヴェーバー詐欺師説」の「証拠」としている。この「配置替えによる意味変換」の操作により、個々の遺物は、遺構のなかで本来もっていた意味を失い、羽入の「配置構成図」のなかで異なる意味を与えられ、「遺物」に転態をとげる。さきほど引用した、「本当にはないことを、事実であるかのように創り上げること」という辞書の定義を適用すれば、羽入は(「意識してか、無意識裡にか」は別として)、そのようにして少なくとも「偽の遺物配置捏造」し、これを「証拠」に「ヴェーバー詐欺師説」という虚説を捏造しているといえよう[1]

 

さて、こうした「配置替えによる意味変換」の操作は、客観的には「偽遺物の捏造」にひとしい。しかも、羽入が持ち込んだ「配置構成図」全体には、外形上は本物の遺物が配置を変えながらともかくも嵌め込まれ、この造作が、当の「配置構成図」全体に「本物」であるかの仮象をまとわせている。したがって、その意味で「手の込んだ」この「客観的捏造」は、かりに意図してなされたとすれば、藤村のように単純な捏造(偽遺物そのもの直接の持ち込み)と比べて、一段と巧妙で、それだけ悪質であるともいえよう。

しかし、この「羽入事件」のユニークなところは、操作や詐術には敏感なはずの羽入が、自分の「配置替えによる意味変換」は、作為的操作とは思わず、主観的には、「遺構」内部の本来の「配置構成」に即した「本物の配置構成」の「世界初の発見」と信じて疑わない点にある。ということはしかし、羽入の内部で、かれ自身「社会科学界の『巨匠』『第一人者』」と見なすヴェーバーを、まさにそれゆえ打倒しようとする抽象的情熱が、濃縮され、結晶して、「巨匠」「第一人者」を「詐欺師」に仕立てる「偽の配置構成図」が創成されているのに、羽入自身はそれに気づかず、それを「遺構」中の「本物の配置構成」に押しかぶせ、それと混同して怪しまない、ということである。ということはさらに、かれが、自分の抽象的情熱に溺れるあまり、ヴェーバーを「他者」として、「遺構」中の「本物の配置構成」を「対象に即してsachlich」曇りなく認識することができない、つまり、先入観に囚われて「『倫理』遺構」そのものを調べられない、「倫理」論文の初歩的読解もできない、ということである。

じつは、ヴェーバーが警告してやまなかった「価値自由」を地で行く、「主客未分」「彼我混濁」の「主体」羽入が、そのようにして無自覚裡に捏造した虚説こそ、「ヴェーバー詐欺師説」にほかならない。拙著『ヴェーバー学のすすめ』第二章は、この関係を「『四疑似問題』の持ち込みによる『ひとり相撲』」として内在的に暴露し、論証している。しかし、本稿では、ここでむしろ、「巨匠」「第一人者」を「詐欺師」と決めつけて打倒しようとする、こういう抽象的情熱/動機が、いったいなぜ、どのようにして形成されるのか、――理解/知識社会学的な外在考察に転じたいと思う。

 

§3. ルサンチマンと過補償動機に根ざす逸脱行動――構造的背景としての受験体制の爛熟

 /大学院の粗製濫造/研究者市場における競争激化

「藤村事件」と「羽入事件」とが、耳目衝動的に「定説」を覆そうと、学問上疑わしい手段を採用して虚説を捏造し、その点で本質を同じくする類例として捉え返されたいま、こんどは両事件そのものを、無関係な二偶発事として孤立させておくのではなく、互いに関連づけ、双方の発生にいたる背後の構造連関」を問い、(類例を含めた)再発防止の方策にまで論を進めなければならない。ここで、広く知られ、いまや「逸脱行動論」の分野では古典の地位を占めているマートン「社会構造とアノミー」論文(Merton, Robert K., Social Theory and Social Structure, 2. ed., 1957, Glencoe, pp. 131-94)を援用し、さしあたりこれを当面の問題に適用してみよう。すると、この理論の枠組みのなかで、両当事者の行為は、「学界における成功」という(文化の文脈で設定され、強調されている)「目的」の達成を焦るあまり、疑わしい「手段」を採用する「刷新innovation」類型の行為として捉えられよう。そして、その構造的背景としては、つぎのような諸契機の「布置連関」が考えられるはずである。

[1]基本的には受験体制(幼小児期から「一番」にプレミアムを与えて抽象的な「第一人者」志向を煽る仕掛け)の爛熟(家庭/学校/受験産業による標準的学習法/学習条件の整備と、本人自身による創意工夫/根気/リスクなどの意義の減退)に規定され、副次的には(一部出版業界の販売戦略にもとづく)「若き知性アイドル」の造成/乱舞(「中沢新一現象」)によって拍車をかけられた、抽象的な(独自の問題/問題意識をもたず、自己目的的な)「第一人者」志向(これが抽象的/「自己目的的であるがゆえに、挫折すれば容易に、「第一人者」打倒志向という同位対立物に転化する)、

[2]大学院の「粗製濫造」にともなう研究者志望の拡大、研究職をめぐる競争の激化、「生半可な」努力と業績では「学界における成功」は望みがたいという展望(ちなみに、『文部科学統計要覧』によると、@1965年には4,790だった大学院修士課程卒業者数は、以後著増をつづけて2003年には67,41214.1 倍に達し、A卒業者の進学率は、1965年の38.0%から1990年の15.7%に低下し、以後1416台に低迷し、B就職率のほうは、同じ期間に47.6%から73.0%に上昇した後、60%台を維持している)、 

といった一般的背景に加え、

[3]両当事者に特有の事情として、「成功」をめざす競争場裡で相対的に「恵まれない」あるいは「出遅れた」位置にあった事実と、さらにそこから、「第一人者」/「成功者」/「恵まれた者」にたいするルサンチマンが生まれ、(なんとしても「起死回生の一打」を放って、一挙にハンディキャップを埋め、「学界」の「寵児」「チャンピオン」に躍り出て、あわよくば「世間をあっと驚かせ」、「恵まれた者」たちを「見返して」やりたいとの)「過補償over-compensation」動機が形成される「客観的可能性」、

が注目されるであろう。

なるほど、この特殊事情[3]については、個々の事例ごとに、同情に価する側面があるにちがいないし、探せばふんだんに見つかるであろう。しかし、そうだからといって学問上疑わしい手段の選択に走ってもよいということにはならない。同じように相対的に「恵まれない」位置にあって「過補償」動機を抱きながらも、かえってそれをバネに、人一倍精励刻苦し、創意工夫も凝らし、学問上正当な手段に自己限定して「成功」をかちえた研究者も、あるいはさらに、既成の「成功」類型を越える「革新」的成果を達成した人も、枚挙にいとまないはずである。

ちなみに、こうした要因連関の検索、とりわけルサンチマンと「過補償」動機の剔出は、おそらくは当事者、当事者予備軍、および(受験/競争関係については過熱しがちな、性善・平等主義の)教育学者や教育ジャーナリズムの「逆鱗」に触れ、反撥をまねくにちがいない。しかし、相対的に稀少な研究職をめぐる自由競争――同時に、研究者としての素質をそなえた後進の選抜過程――において、相対的に「恵まれる」者と「恵まれない」者とが振り分けられ、後者にルサンチマンと「過補償」動機が生まれ、これが一面、危険な「逸脱行動」への内圧を孕むことは、ここ当分避けられない現実であろう。

とすれば、みずから大学院教育/研究指導に携わり、そうした条件のもとで学問研究の将来の担い手を養成する責任を負い後進の学生院生とつぶさに接している研究者が、この現実を直視し、ルサンチマンと「過補償」動機への対処――いかにして当該学生/院生に、正当な研究努力による捲土重来への脱皮、または他の職業への転身を促すか、という緊張を孕む課題――を、大学院教育のクリティカルな問題として正面から取り上げ、見据え、フェア・プレーに準拠して選抜と予後策の改善をはかると同時に、「逸脱行動」の発生を防止するよりほかはないであろう。むしろ、研究者とくに教育社会学者/教育評論家が、そうした問題を「タブー視」し、現実の直視を避け、「実存的問題から社会学すること」を怠ってきたことのほうが、はるかに問題で、責任重大ではなかろうか。

というのも、広島大学総合科学部における一「万年助手」の「学部長刺殺事件」、「オウム真理教」集団への大学院修士課程修了者(正確には、修士課程までで、研究者としての将来を閉ざされたと感じた挫折逆恨み秀才)の大量流入など、高学歴層における「逸脱行動」の諸事例は、受験体制の爛熟と研究者市場で構造的に生産/再生産されるルサンチマンと「過補償」動機を抜きにしては、「解明」「説明」できないと思われる。そしてそれらは、もとより現象形態こそ異なるにせよ、ルサンチマンと「過補償」動機に根ざす「逸脱行動」という本質にかけて、「藤村事件」や「羽入事件」の予兆をなしていたのではなかったろうか。

羽入書も、「拷問」や「釈明却下」の比喩ばかりでなく、じっさいに社会科学界の「巨匠」「第一人者」を、さればこそ遮二無二「詐欺師」「犯罪者」に仕立てて葬ろうとする行論の、再三再四指摘してきたとおり、無理や矛盾をものともしない「検察ファッショ」流の強引さにかけて、異様に不気味である。羽入書には、もっぱら「巨匠」「第一人者」の打倒それ自体に凝縮し、「なんのために」との内省も独自の問題意識も欠く抽象的情熱が、罵詈雑言と自画自賛を連ねてやまない粗野な感性とむすびついて、なんの躊躇も抑制もなく露呈、というよりも誇示されている。こういうルサンチマンの持ち主は、単独ではなにごともなしえないにせよ、容易に、同じ素地から生まれる、同じく恣意的/独善的な政治勢力に操られ、組み込まれて、暴走する危険を包蔵してはいないか。とすれば、そうした危険をいちはやく察知し毒性は萌芽のうちに自由な言論によって摘み取ることこそ、「さらなる逸脱行動」の予防措置となり、ジャーナリズムに出て政治/社会運動の旗を振る評論家流以上に重要で、当該専門領域の研究者にふりかかっている固有の責任/社会的責任といえるのではなかろうか。

「摘み取る」といっても、なにか手荒なことをするのではない。学問上の論争を繰り広げるだけである。論争をとおして、たとえば「ヴェーバー詐欺師説」の誤りを学問的に論証し、提唱者がその誤りを認めて学問研究――ヴェーバー批判をつづけるならつづけるで学問的なヴェーバー批判――への捲土重来を期するように、第三者も「反面教師」「反面教材」に学んで「検察ファッショ」流を思い止まり、あるいは無益と察知して顧慮しなくなるように、自由な論争批判の効果波及効果を期するだけのことである[2]

 

さて、本題に戻り、「学部長刺殺事件」や「オウム真理教事件」に顕在化した問題についても、大学教員や理事の多くは、「喉元すぎれば熱さも忘れ」て、「挫折秀才の逆恨み」問題など「どこ吹く風」とばかり、「大学院もない大学では学部に受験生が集まらない」との理由で、本末転倒も甚だしい「学部の人寄せアクセサリー」として「大学院」を粗製濫造している。そして、「制度をつくったからには定員はみたさなければならない」というので、どうみても素質のなさそうな学生でも「スカウト」し、研究指導も怠っている。だいたい、みずから研究をせず、学問上の実績はなく、研究指導の責任感に欠け、専門的力量にも乏しい「大学院教授」が、いかに多いことか。かれらは、じっさいにはちょうどその無責任さに相当する分、「高学歴は取得したけれども、相応しい実力と地位はえられず、ただ自分の『真価』が世に認められないと感じてルサンチマン/欲求不満/『過補償』動機をつのらせている危険な『知識分子』les incompris intellectuels et dangereux」を「育成」しているだけではなかろうか。

他方、伝統的には研究者養成の機能を果たしてきた旧制帝国大学や老舗私立大学の大学院も、こうした趨勢につれて、教員の「身分的利害関心」(かつては「大学院大学」構想に反対していた大学教員も、「バスに乗り遅れるな」とばかり「大学院」新/増設に走り、「××大学院〇〇研究科教授」の肩書を愛用してやまない、あの心根)を梃子に、大拡張を遂げ、研究指導研究者養成にとっての適正規模をこえて「水膨れ」している。研究指導の実態は「指導教官」ごとの「たこつぼ」と化して、似たりよったり、助手の削減(講師/助教授ポストを増やすための「召し上げ」)が空洞化に拍車をかけている。そこに、「われこそは第一人者」と自負する「受験秀才」――いっそう正確には、一般教育教養課程の形骸化に対応して、ちょうどそれだけ「受験秀才から脱皮できない学校秀才」――が集中し、相対的に厳しい「競争」と「淘汰」にさらされる。「逸脱行動」への緊張と内圧は、それだけ高まっていると見なければならない。

さらにそこには、「社会人枠」の設定などにともなう院生の年齢構成前歴教養上の背景などの多様化によって、研究指導上の困難もつのり、(当事者は気づかず、気づいても「見てみぬふり」をしているとしても)深刻な問題が多発しているはずなのである[3]

 

小括

そういうわけで、ここで少なくとも「大学/大学院における研究指導の実態と責任」という問題が提起されよう。拙著で詳細に論証し、本稿でも一端に触れたとおり、羽入は、「倫理」論文の初歩的な読解もなしえず、それにもかかわらず――いな、まさにそれゆえ、というべきか――ヴェーバーを「詐欺師」呼ばわりしている。しかし、羽入は、当の羽入書に「改訂・増補し」(羽入書、Eぺージ)て収録された論文で、東京大学大学院人文科学研究科倫理学専門課程から、修士/博士の学位を取得し、同科の先輩関係者からは学会賞の「和辻賞」を授与されている。しかも、当該倫理学研究室といえば、ヴェーバーにも詳しい金子武蔵、小倉志祥、浜井修といった優れた思想学者を三代にわたって擁し、文献読解の厳密性にかけては(日本というこの社会の学界において)最高水準にあるひとつとの定評をえてきた。じじつそこからは、優れた「中堅」や「新進気鋭」の研究者が輩出している。じつは筆者自身、かつて大学院生のひとりとして隣接の金子武蔵ゼミを覗き、「自分の在籍する社会学研究室では、尾高邦雄、福武直らの指導的研究者が戦後一斉にアメリカ流プラグマティズムに『鞍替え』し、そうした『主流』に乗ることが『学界における成功』への早道となってはいるけれども、この自分は、そうしたスタンスに対抗してなにをなすべきなのか」という模索に、大いに示唆を受けたものであった。羽入がその研究室から出自したことは、筆者には驚きである。しかし筆者は、筆者の論証が覆されないかぎりは、羽入を育てた当該研究室の研究指導に問題があったと考えざるをえない。そして、当該研究室がつい最近まで最高水準にあったとすれば、「ましてや、他の研究室においてをや」との推論がおおよそ妥当するであろう。いずれにせよ、「大学/大学院における研究指導の実態と責任」が、「問うに値する」問題として提起されよう。

そこで筆者は、稿を改め、こんどは旧一教員の見地から、この問題につき、個人的な回顧/反省も交えて論じてみたい。ただ、この問題については、それ以上に、ひとつの研究主題として採り上げ、現状の実態調査などに本腰を入れて取り組む――つまり、一定の「明証性」はそなえた(と信ずる)上記の仮説につき、その「妥当性」を問うて展開する仕事にまで進む――ことは、筆者には無理がある。筆者はこのあと、「倫理」論文を起点/中心とするヴェーバーの学問にかんする全体像を構築して当該論文初版刊行百周年を記念する『ヴェーバー学のすすめ』続篇、「ヴェーバー『経済と社会』全体の再構成」という専門家としての責任/社会的責任に応える課題に取り組みたい。以上の問題提起については、若い教育社会学者が、「大衆教育社会」論の一環として考慮に入れ、問題として再設定し、研究を引き継いでくれるように期待してやまない。「羽入事件」にたいする検証回避とそのうえにたつ「山本七平」の授受問題についてはやはり、別稿で採り上げたい(この問題については、雀部幸隆が正鵠を射る論考「学者の良心と学問の作法について」、『図書新聞』、200421421日号、本コーナーに転載、を発表しているし、拙稿「学問論争をめぐる現状況」§11でも論じたので、参照願いたい)。(2004128日記、注の一部、63日追記)



[1] こうした関係を、筆者はすでに、拙著『ヴェーバー学のすすめ』第二章で立ち入って論証した。ただ、ここで「遺跡発掘」との類比を用いるからには、「遺構」(=「倫理」論文)中、羽入が「遺物」を取り出したフランクリン論/ルター論について、「遺構」そのものの「配置構成」を概観し(原著者ヴェーバーの論旨コンテクストパースペクティーフを、かれの方法方法論との関連において読解し)、そのうえで羽入が、ⓐそれぞれのどの部位で、どの「遺物」(一論点をなす語群)を抜き取り自分の「配置構成図」に移し入れ並べ替えいかなる「意味変換」を惹起しているか、羽入書四章の四例について具体的に剔出摘記しておいたほうがよいであろう。そうすることによって、当の「意味変換操作」意味」/「意味上の根拠」、すなわち羽入の執筆「動機」、が浮き彫りにされ、それが「別様ではなく、かくのごとくに形成され」た構造的背景の遡及的探究に、円滑に移行することができよう。他方、筆者はこの間、本コーナーへの諸寄稿に応答する過程で、諸寄稿から学び、みずからも再考し、拙著の細部には若干改訂/補完すべき論点も見いだしたので、改めて総括的な要約をしたため、羽入書にたいする内在批判を締めくくりたいと考えてもいた。そこで、そうした総括を兼ねて、上記趣旨の「配置構成」概観ならびにⓐⓑⒸ点の摘記を試みた。その結果、羽入が、四章の四主張いずれにおいても、「『倫理』遺構」中数カ所の「遺物」を、「遺構」の「配置構成」から抜き出し羽入の「配置構成図」(かれが非歴史的・非現実的独断を持ち込んでしつらえた「犯行現場」のコンテクスト)に移し入れて「遺物」を「偽遺物」(「杜撰」「詐術」「詐欺」の「証拠」)に意味変換している事実が、再確認された。しかし、概観と摘記とはいえ、それぞれの論証は、かなりの紙幅を要し、それ自体としてはまだ内在批判の枠内にあるのに、この外在考察論稿中の一節としては不均衡に膨れ上がってしまった。そのため、用意した総括稿(§§§「『倫理』遺構の配置構成⑴――『資本主義の精神』節の論証構造とフランクリン論の位置値」「『倫理』遺構の配置構成⑵――『ルターの職業観』節の論証構造と語Beruf創始/波及過程論の位置価」「羽入による『偽の遺物配置』と虚説の捏造」)は、それぞれ「マックス・ヴェーバーのフランクリン論」「マックス・ヴェーバーの語Beruf創始/波及過程論」「羽入辰郎の『倫理』論文読解水準と虚説捏造」と改題し、追って別途に発表したい。

 なお、羽入は「ヴェーバーは詐欺師である」との全称判断をくだすが、その「証拠」を集めてくる「現場」は、「倫理」論文のみである(つまり、「ヴェーバー遺跡」のうち、ⓐⓑⒸ点の検証を要するのは、「『倫理』遺構」のみである)。しかもその本論(第二章「禁欲的プロテスタンティズムの職業倫理」GAzRS, I, S. 84-206)ではなく、序論(第一章「問題提起GAzRS, I, S. 17-83)、それも第二/三節それぞれの「序の口」(の部位)にすぎない。また羽入は、そうした視野狭窄のうえに自分が問題とする箇所を「全論証構造の要」と決めてかかるが、なぜそこが「要」なのか、そもそも「倫理」論文全体がいかなる「論証構造」をそなえているのか、具体的な論証を怠っている。かれに代わる「全論証構造」再構成の試みとして、拙稿「ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理』論文の全論証構造」(『未来』20043月号、pp. 32-9、本コーナーに再掲)参照。本論を含む「倫理」論文全体の概観は、この拙稿に譲る。(200463日記)

 

[2] ちなみに、研究者が、こういう研究者固有の責任/社会的責任を学問的専門的に果たそうとはせず、あるいはむしろそうした責任を回避する口実/「免罪符」としてジャーナリズムに出て(あるいは政治/社会運動にかかわって)「旗を振り」たがる傾向は、日本というこの社会における「戦後民主主義」の脆弱点、少なくとも問題点のひとつで、学界とジャーナリズムの双方にとって不毛で不幸なことであったし、いまもってそうである、と筆者は考えている。この点は、ほかならぬこの「羽入事件」をめぐっても、そうした「半学者・半評論家」の羽入書絶賛(たとえば松原隆一郎)、あるいは「見てみぬふり」(たとえば山之内靖、姜尚中ら)によって例証されよう。

[3] この問題については、本稿(その1)「はじめに」注7で敷衍している(6月3日記)。